Awichはハーフ?実家両親や兄弟と亡くなった夫について調査!
Awich(エイウィッチ)はハーフ?実家両親や兄弟と亡くなった夫について調査しました!
19歳の時に渡米して大学に進学し、卒業してからアフリカ系の男性と結婚をするも、その方とは死別してしまいました。
死別の後、日本に帰国して本格的な音楽活動を始め、今はAwich(エイウィッチ)の名前はあちこちで見るようになりましたね!
ラッパーとして露出が多くなってきたAwich(エイウィッチ)さん。
今回は、Awich(エイウィッチ)はハーフ?実家の両親兄弟や亡くなった夫について調査しました!
Awichはハーフ?
Xtra McNasty Teriyaki with Matcha 🍵 pic.twitter.com/aE2DapjbsI
— Awich (@Awich098) August 14, 2024
Awich(エイウィッチ)は沖縄の那覇市が地元。
東京でのテレビ出演やライブ活動も多いのですが、住まいは沖縄で、今は東京と沖縄を行ったり来たりしているようです。
Awich(エイウィッチ)はハーフではない
結論を言いますと、Awichはハーフではありません。
くっきりした目鼻立ちから、ハーフなのでは?と思う人もいますが、ご両親ともに沖縄の方なので、ハーフではありません。
Awichの両親
お父さんは浦崎直行さん、お母さんは浦崎米子さんです。
一般人なので特に顔を出して、という事はありませんが、エピソードの中でよくご両親の話は出てきます。
Awichの父親
お父さんの直行さんは、真珠湾攻撃の翌日に、パラオで生まれたそうです。
2歳で沖縄に戻って来て、沖縄戦も体験していて戦後の苦しい時代をも生き抜いた世代ですね。
Awichさん曰く、「体育会系で、気合いがすべて、みたいな人」だそうです。
お父さんは、高校の生活指導の先生をされていたようで、SPEEDやDA PUMPが全盛期の時、アクターズスクールに入りたいと言ったAwichさんでしたが、お父さんの猛反対に合い、希望はかなわなかったようです。
ラッパーになることも、快く思ってはなかったようですが、Awichさんの今の活躍の陰にはお父さんの言葉があるのです。
それは、ご主人を亡くして辛かった時になります。
お父さんが「ウチナーンチュ(沖縄の人)は全員そうだからな。戦争で大事な人や家族を失ったんだ。お前1人だけじゃない」声をかけられました。
様々な経験をされたお父さんの言葉には深いものがあるのです。
Awich(エイウィッチ)さんは、お父さんのその言葉を聞いて音楽活動を再開しました。
Awichの母親
お母さんの米子さんはAwichさんプロデュースのレストラン「Cafe Cipher彩場サイファー」を切り盛りされていました。(現在は休業中のようです)
那覇市内では有名な隠れ家カフェ&レストランで、米子さんは料理上手で知られています。
Awichさんはお母さんの人物像を「芸術肌で、絵を描いたり、小説を書いたりする人」と表していました。
Awichさんは子供のころから、言葉を綴っていたそうなので、お母さんの影響があったのかもしれません。
wichさんの今の活動を始めたのは、やはりご両親の影響があったからです。
Awichの兄弟
Awichさんに兄弟はいません。
けれど、ネットでAwichさんを検索すると「Awich 兄弟」という言葉が出てきます。
Awichさんに兄弟がいると思われているようです。
なぜなのか、というのを考察してみたのですが、あくまでも私の想像ですが、Awichさんが単身アメリカに渡ったり逞しく人生を謳歌しているし、沖縄への愛が強く、家族が沢山いるというイメージからくるのではないでしょうか?
Awichのプロフィール
Awichのプロフィールをまとめました。
- 本名 浦崎 亜希子(うらさき あきこ)
- 芸名 Awich(エイウィッチ)
- 出身 沖縄県
- 生年月日 1986年12月16日
- レーベル ユニバーサルミュージックジャパン
- メジャーデビュー 2020年
芸名のAwich(エイウィッチ)というのは、本名の「亜希子」を英語に直訳し、「Asian Wish Child」を略した造語です。
その「亜希子」という名前はAwichさんのお母さんが「アジア大陸のように大きな希望を持つ娘に育ってほしい」と名付けたそうです。
その名前のとおり、今では世界で活躍するアーティストになりました!
Awichの生い立ち
Awich(エイウィッチ)さんは、1986年に沖縄に生まれました。
小学4年生の頃から米軍基地内にある英語教室に通いながら、海外のヒップホップから生きた英語を学んだそうです。
小学校四年生にして、
①米軍基地内にある英語教室に通う
②海外のヒップホップを聞く
③ヒップホップのリリックやインタビューを書き写した
このようなことを続けて、Awichさんは生きた英語を身につけていきました。
また小さい頃、暗闇が怖くて嫌いで、「言葉を綴る事」でそれを紛らわしていたというので、自分の思いを文字として残すことも自然とできていたのでしょう。
当時は、大人に対する不満や、子どもはこうあるべき、女性はこうあるべき、というルールのようなものを綴っていたというから、ラッパーとしての素地がその頃から形成されていましたよね。
19歳の時に、単身アメリカに留学して、その後アフリカ系アメリカ人の男性と結婚をして出産しました。
その時の子が最愛のトヨミ・ジャミラです。
ビジネス学も学んで日本に家族3人で戻ろうとした矢先にご主人が亡くなってしまいました。
結局娘と二人で沖縄に戻って、本格的に音楽活動を始めました。
Awichの夫
Awich(エイウィッチ)さんの夫というのは、14歳上のアフリカ系のアメリカ人です。
ハスラー(プレッシャー)「麻薬密売人」だったそうです。
Awich(エイウィッチ)さんはもちろん結婚するまでこのことは知らなかったようで、結婚してから知ったのですね~!
日本人からすると、麻薬密売人と聞くと怖いと思うのではないでしょうか?
危険なこともありそうですし。
当時は喧嘩が絶えなかったようで、ご主人が亡くなる時もAwich(エイウィッチ)さんは喧嘩をして、日本に帰ってきていたようです。
2011年のことでした。
喧嘩別れのままの永遠の別れ
アメリカにいるご主人から、何度もメッセージがあったそうですが、Awich(エイウィッチ)さんはそれを無視していました。
そして、連絡が付いた時には、彼は銃撃で亡くなったいたのです。
彼からの最後のメッセージは
「I miss you and I love you,I hope everything is good with you」
これを訳すと「あなたがいなくて寂しい、そしてあなたを愛しています、あなたとすべてがうまくいくことを願っています」となります。
この時の衝撃にAwich(エイウィッチ)さんは、悲しみに暮れるのではなく、ちゃんとしなければ!と自分を鼓舞して、そこから本格的な音楽活動を始めたのです。
Awich(エイウィッチ)さんがそこまで強くなれたのは、何よりトヨミジャミラさんというお子さんの存在も大きかったのかもしれません。
まとめ
今回は、Awichはハーフ?実家両親や兄弟と亡くなった夫について調査しました!
Awich(エイウィッチ)さんは、ハーフではありませんでした。
兄弟はいなくて、ご両親との3人家族だったそうです。
芸術的なところはお母さんに似ているようで、肝が据わっているのはお父さんの影響のよう。
そして、最愛のパートナーを亡くして悲しみの中でも音楽活動を始めて行けたのは、力強いお父さんの気持ちの上での支えがあったのかもしれません。
今ではラッパー界の女王と言っても過言ではないAwich(エイウィッチ)さんですが、ここに来るまでは大変な苦労があったのがよくわかりました。
今回は、Awichはハーフ?実家両親や兄弟と亡くなった夫について調査しました!